2017年3月13日月曜日

フルーツ大国フィリピン

フィリピンに来て、良いと思った点はいくつかありますが、

そのうちの1つにフルーツが安くておいしいということが挙げられます。

来る前から漠然と美味しいんだろうなとは思っていましたが、

こちらで生活していて、おいしいフルーツがこんな安く買えるの?!という驚愕の連続です。


イロイロの生活で食べているフルーツを簡単にご紹介!


まずはやっぱり、バナナ!

そこは南国の国フィリピン、バナナと言えど、種類もいくつもあり、

緑色したものや、短いもの、甘くないもの、酸っぱいものなど、さまざまで、色んな食べ方があります。


スーパーでは房で売られており、大体1本あたり10円~20円といった価格でしょうか。


生で剥いて食べるのもいいですが、

個人的に好きなものは、バナナトゥローンという短いバナナを春巻の皮のようなものに巻いて揚げ、好みでチョコレートソースやキャラメルソースのようなものをかけたもの。

このお菓子がミリエンダ(間食)に出る日もあるくらいフィリピンの国民的お菓子です。
1本20円くらいで買えます。


↑トゥローン


↑日本で見るバナナより短くて太く、甘味は弱く酸味が強いバナナ。これを蒸して、芋のように食べる



次に、マンゴー!


日本では、高級フルーツとして知られるマンゴーもこの国では、美味しいマンゴーが安く手に入ります。


またフィリピンでは、品種が違うと思われますが、熟していない青いグリーンマンゴーも頻繁に売られているのを見かけます。

このグリーンマンゴーはほのかに甘く酸味が強いのが特徴で、エビのペーストと調味料を混ぜたソースにつけて食べるのがフィリピン流で、自分は苦手な味でした。。。


甘い黄色のマンゴーは1つ50円ほどで売られており、ちょうど3月~5月がシーズンとのこと。

↑自分でカットして朝食に食べることもしばしば。甘くて美味い!


5月には、イロイロ市の目と鼻の先にあるマンゴーで有名なギマラス島で、マンゴーフェスティバルというものが開かれ、なんとマンゴーが食べ放題だそう。


ギマラス島へはイロイロ市の港からおよそ15分ほど(距離にして約2㎞)のところにあり、5月にそのお祭りの時期を狙って上陸しようと考え中!




これら以外のフルーツも多くあり、

スイカやココナツ、日本に馴染みの少ないスターアップルやジャックフルーツなどが

あり、町の至るところの露店で売られているところを見かけます。



バナナに関しては至るところにバナナの木が生えており、

日常的によく取れるのでフィリピンを代表するフルーツで皆頻繁にむさぼって食べています。
(これに関しては来比する前から思っていたイメージ通りでしたw)



フィリピン料理は脂っこい肉系料理が多いので、

自分は胃の休憩も兼ねて、朝食や休日に食べることが多いです。


ただちょうど今日本は冬で、コタツに入って食べる蜜柑が恋しくなる今日この頃です。


さてイロイロでの生活も残すところ半年、
残り半年はイロイロから色んな島に渡って、その土地の文化や生活を見ていきいたいと思います!


違う島から来た友人いわく、土地ごとで文化も違うとのこと。


残り半年も楽しんでいきます!



2017年2月5日日曜日

2017年スタート!

気が付けばもう2月。。。
前回の更新から1カ月が経ってしましました。
2017年がスタートしましたね。



年末から1月までの生活を掻い摘んでご紹介します。



年末年始は私用もあり、マニラで過ごすことになりました。



マニラでの生活拠点となる寮ではなんとNHK紅白歌合戦が映り、
それを見ながらマニラのスーパーで手に入れた蕎麦で年越し蕎麦を作って食べました。
さすがマニラ!なんでも揃う!


紅白歌合戦終了後、日本から1時間遅れで新年を迎える瞬間を地元の人がどのように過ごすのか興味もあり、街へ出かけます。


マカティの町を散策していると、ビルの最上階(屋上?)で大音量の音楽とレーザービームのような光線を夜空に映し出すいかにも盛り上がってます的な場所を発見し、迷わず突撃。



お店の中は現地の方や観光客およそ200~300人くらいが新年を迎える瞬間を今か今かと待ち侘び、お酒を飲んで盛り上がっていました。


マニラ(マカティ)では30日の夜から至るところで花火が打ち上げられ、日本では絶対に許可が下りないようなビル群、住宅街のど真ん中から打ちあがります。
※ちなみにフィリピンでは毎年、年末年始に花火がらみの事故で数十人が救急搬送されたり、火花でボヤが起こったりするそうですw



そして新年を迎えた瞬間、夜空に多くの花火が打ちあがり、お店でいた人たちは抱き合ったり、
乾杯したり、カップルはキスをしたりとさまざまな形で新年を迎えたことを喜んでいました。

今まで海外で年越しを迎えることなんてありませんでしたし、日本にいても家族と過ごすのが当たり前だったので、年越しをこういった形で迎えるのは新鮮でエキサイティングな体験でした。



さて、1月中旬にイロイロに戻り、私の活動も少しは活動らしくなってきました。

障害者が運営するマッサージ店のプロモーションのお手伝いをさせてもらったり、

障害児・者の方々が制作するビーズ商品の製作現場を見学させてもらい、

販売機会創出の相談を受け今後に向けたプランの打ち合わせを行うなどしました。





1月後半には、イロイロ市で毎年開催されるフィリピン3大祭の一つとも言われるDinagyang Festival(ディナギャン)が開催されました。

当日は市外のみならず、マニラや他国からも観光客が多く訪れお祭りを楽しんでいました。





2月はマニラで開催されるバザーに障害者の方々が製作するビーズ商品を出品させていただくことになりました。

ここでの目的は、現状の商品力を調査するため、来場者(お客様)とのコミュニケーションを通じ、商品クオリティやニーズを聞き、課題分析をしていきたいと思っております。


現状のクオリティではなかなか販売先を見つけ、販売してもらうことは難しいと考えているので、
今回のバザーは売れなくてもそれはそれで収穫ありでだと思い、
お客様とのコミュニケーションを密にとっていきたいと考えています!


さて、現地での生活も落ち着いてきたので、そろそろフィリピン国内を旅をしたいと思い、色々調べています。
(フィリピンは島国で自然のキレイな地方に行くには圧倒的に交通の便が悪く飛行機やフェリー、長距離バスを乗り継ぐというのが主な交通手段となります。まぇそれは覚悟しましょう。。。)
他の協力隊員や地元の人などからウミガメやジンベイザメとダイビングできるスポットがあるとのこと。

これは是非やってみたいと思いましたが、私ダイビングのライセンスを持っていません。。

しかしここはキレイな海に囲まれたフィリピン!イロイロから2,3時間いったところに日本の半額くらいでライセンスを取得できるところを発見しました。

2月は研修やバザーでバタバタしているので、3月までにライセンス取得したいと思います!


この先が楽しみになってきました!


では。



2016年12月13日火曜日

イロイロでの活動・生活が開始

マニラから2時間ほど行ったカビテというところでの3週間の語学訓練が終了し、
初めてのボランティア総会に参加してきました。

先輩方のお話は今後の活動で自分も直面するであろう問題や解決の糸口が詰まった良いお話ばかりでした。



そしてイロイロに赴任して、2週間が経ちました。
(ただいま停電の中ブログ更新です。。。)


11月末というのに赴任日当日に台風が直撃し、台風の中同僚と共に住居探しです。


ちなみにフィリピンでは8月~12月にかけて台風が上陸するそうで、台風はフィリピン近海で発生し、翌日には上陸するので、

普段から台風に対する準備が必要です。フィリピンにおける災害の大部分は洪水、土砂崩れなど台風に起因するものが多く、

現在この国では台風対策が求められています。同じフィリピンに入っている協力隊にも災害対策という職種で台風対策に取り組んでいる隊員がいます。



さて、住居探しですが、洪水が道路を覆う中、数件周り自分にぴったりの物件を見つけることができました。


気に入った点は、

①近くにスーパーがあり、オフィスまでジプニーの乗り換え無しに1回の乗車20分で着く立地の良さ、

②冷蔵庫、ベッド、机椅子などの家具が備えつけで1年しか住まない自分にとって家具が付いているのは本当に有り難い!

③夜間にエントランスにセキュリティの方がいてくれるとのことで安心


という点で満足し、赴任日から早速入居することにしました。



活動の方は、イロイロ市役所の障害者支援事務所に配属され、

障害者の方の生計向上を目指し、製品づくりや販路拡大に貢献するという活動内容で、

現在はさまざまな障害を持つ方のお話しを伺ったり、活動の様子を見学しています。



そしてこの間、配属先のオフィスで手話の勉強会がありました。

というのも、私のオフィスには障害を持った方が数人働いており、難聴で言葉を話せない方が2人います。

また活動上そういった障害を持った方とコミュニケーションをとることから定期的に職場で勉強会をしているそうです。

2日間の勉強会では基礎的な内容で同僚たちと手話で会話をしてみたりと楽しく勉強でき、簡単な会話、コミュニケーションはできるようになりました。



さて、12月に入り、いよいよクリスマスシーズンの到来です。


といってもフィリピンでは9月から徐々にクリスマスモードになっていくそうで、

私がマニラに来た10月からすでに街のいたるところでクリスマスイルミネーションやクリスマスギフトを見かけました。


フィリピンの方は本当に祝い事やお祭りが好きなのですが、中でもクリスマスは特別な思い入れがあるようで、1年の中でも12月が忙しく盛り上がるそうです。


私の職場では4回ほどクリスマスパーティが予定されており、趣向を凝らしたイベントが企画されているそうです。

驚くべきは仕事そっちのけでクリスマスパーティの準備をしたり、ダンスの練習します。

クリスマスパーティに専念するからなのか、12月に入り職場で放置されることが多くなり、このまま12月が終わりそうな気配がしてきました。


日本のクリスマスシーズンといえば、当たり前のように寒い訳で、

フィリピンも冬は冬ですが、連日30度を超える夏のような天気で半袖で迎えるクリスマスは初めてで、まだ違和感しかありません。

初めて異国の地で迎えるクリスマス、年末年始。

楽しみたいと思います!

2016年11月22日火曜日

任地(イロイロ)ホームステイ~4days~


先日、任地であるイロイロにホームステイという形で行ってきました。


目的は、


1.本赴任前に自身の職場や関係部署への挨拶、

2.赴任中に住まう住居を探し、

3.ホストファミリーとの生活を通して現地生活を体験すること、

の3点です。


私の活動先はイロイロ市で障害者支援を行っている市役所の部署で、
一緒に働くことになる同僚たちのほとんどが何かしらの障害がある方々です。


訪問した初日に歓迎会を開いてくれました。



皆さん、優しい方で現地語や手話を教えてくれました。
※同僚の中に聴覚障害で手話で話す方が2名います。


挨拶周りですが、
市役所、障害者が商品作りをしている職場などを訪問し、
市役所では、市長にお会いすることができました。



イロイロ市長、なんでも世界で最も優れたな市長2014 第5位にランキングした市長ということで、
とても偉大で地元でも人気だそうです。



4日間の間、ホームステイをさせていただいたお宅とホストファミリーです。



ホストファミリーの方々があまり英語を話せないこともあり、コミュニケーションに苦労しましたが、
親切で、やさしく接してくれ、もてなしていただきました。


フィリピンのローカルの人たちの生活を見ると、マニラの人たちとは違って
屋外で炭を使って調理をしていたり、複数の部屋をひとつの電球を使いまわしていたりと、
先進国の生活と比べると不便に感じることも多く、
やはりフィリピンが途上国だということを再認識させられました。


そして住居探しですが、
フィリピンには、一人暮らしという文化がないのか、一人暮らし用の住居というものがほとんどなく
限られた物件しか見れませんでしたが、職場近くでいい物件があり、そこに住むことにしました。

セキュリティ的に課題があるので、引越し後に大家さんに相談して、チェーンロックや窓に鉄格子を
つけてもらおうかと思います。
日本では、そこまでセキュリティについて意識することがありませんでしたが、
フィリピンでは日本の10倍以上の強盗犯罪があるとのことで、防犯についてはJICAからも口すっぱく言われます。


本赴任はいよいよ今週末!!


いよいよフィリピンでのローカル生活が始まります。


とりあえず現地に友達100人作ります!

2016年10月17日月曜日

フィリピン上陸

(1カ月更新が途絶えていました。 ^_^; )

10月11日、いよいよマニラへの渡航日を迎えました。


訓練終了後の1カ月は、家族とゆっくり過ごしつつ、協力隊の先輩隊員の話を聞きに行ったり、


2年ほど会えなくなるということで友人たちが送別会を開いてくれたりと小忙しくしていました。


そんなこんなで出発です。
(成田発 フィリピン航空)


マニラまでは4時間の飛行時間で沖縄に行くくらいの感覚でした。


いざ、マニラに降り立ってみると





やはり暑いうえ、蒸し蒸しする亜熱帯特有の気候。特に今は雨期らしく。


JICAの業務調整員の方が空港まで迎えに来てくださり、


マニラ滞在中に生活をするドミトリーまで案内されました。


マニラの街並みは東京と見間違うほどの超高層ビルや高級ホテルがある一面、


車内からはスラムやストリートチルドレンが目に止まりました。


ドミトリーに到着。
ドミトリーはマニラの一等地(マカティ。日本でいう新宿・六本木のような場所にあります。)にあるので、治安は特にいいです。


治安のことで言うと、フィリピン全域で窃盗や強盗という犯罪は多いのが現状ですが、


マカティはフィリピンで1番のオフィス街で特に治安が良いと言われており、


街の至る所に銃を持った警官が立っています。





街を歩いてみると、まず気づいたのは、車の交通量の多さに加え、運転の荒さ。。


至る所からクラクションが鳴り響いています。


地元の方の多くが利用する乗り物がジプニー。




乗り合いのバスのようなもので、路線も決まっていて、


一人7ペソ(日本円で20円弱)と安価で乗車できます。


まだいまいち乗り方・降り方のルールがわかっていないので、後日報告します。


また多くの車が悪いガソリンを使っているせいか、黒い煙を吐き出し走っています。


そのせいで、現地の人もマスクをしたり、口を手で覆って歩いています。


自分も20、30分街中を歩いただけで喉をやられてしまいました。



前述したように、マニラ(マカティ)の街並みは東京を思わせるような近代的な街並みで


誰もこの景色を見るとこの国が途上国だと思いません。




まだ地方を見てはいませんが、


都市と地方で貧富の格差は大きく生活水準が違っていると感じました。



早く地方で生活をしてみたいと思った渡航4日目の夜でした。


なお、フィリピンはネット環境が良くなく画像をひとつあげるのにも、数分かかるという異常さ。


日本の常識で考えてしまうが故、不便に感じてしまう。。。


2016年9月17日土曜日

修了式 ~派遣前訓練を終え~

訓練70日目、いよいよこの日を迎えました。修了式。






訓練当初はしんどく長い道のりで、早く終えたいと思っていた訓練でしたが、



いざ終わってみるともっとこの二本松訓練所にいたいと思うほど、



充実した生活、素敵な出会いが多かったです。



寝食を共にした生活班のメンバー。
苦しい時も楽しい時も共に過ごしてきた仲間たち、班長として慕ってくれたみんなに感謝です。
学生時代に戻ったかのように、毎日笑っていることができました。



語学力向上に共に励んだ語学クラス。
日本語でほとんど話すことがなかったので、お互いの苗字は覚えれませんでした。
ワークショップの準備はとても大変でしたが、クラスの人たちに負けじと頑張れました。



同じ国に派遣されるフィリピンメンバー。
任国研究で一緒にフィリピンについて研究したり、一緒に受けた講義。
訓練後も現地で共に頑張る仲間になるでしょう。



自由時間に、息抜きのためテニスやバレー、フットサルを共にプレーした人。
月曜~土曜までぎっしり詰まった授業、講義を過ごす中で、一緒に汗をかき、
ストレスを発散することができました。



これらの他にも充実した時間、素敵な出会いは数え切れないくらいありました。
さまざまな場所から、多種多様な職種、世代の人たちが集まり濃密な時間を過ごす
この70日間の生活は、自身の今後の人生でもないと思うくらい不思議な空間・時間でした。



今後の人生でも関わっていきたいと思うほど、魅力的な人たちが多く、



充実した時間を過ごすことができましたし、別れは寂しいものがありました。



さて、修了式はというと、



無事最終試験をパスした全員でそれぞれ修了証書を所長から受け取り、
決意を胸に終えることができました。
あたり前かもしれないですが、「全員無事で帰ってくること。」この所長の言葉が
印象的でした。


さて、訓練所で出会ったほとんどの人とはここで別れることになりますが、


ここからが本当のスタート!



現地に行って、短い期間の中で、現地の人たちのために自分に何ができるのか。


現地の人たちと同じ生活をし、同じ目線にたって真剣に考え、一つでも多く改善できるよう


挑戦してきたいと思います。




渡航までもう少し時間があるので、自身の活動内容の知識を深め、


語学力を少しでも伸ばせるよう準備しなくては・・・




訓練所での生活が体にしみついているので、


明日も6時半~ランニングに行ってまいります。

2016年8月31日水曜日

被災地訪問

東日本大震災から5年と半年が過ぎました。



今回、訓練で福島に来たということで、かねてから訪問したかった



被災地の方に他候補生と共に行ってきました。



今回、訪れたのは福島県の中でも特に被害の甚大だった、
南相馬市、浪江町に行ってきました。



いずれの町も津波の被害だけでなく、原子力発電所爆発で



放射線の影響が色濃く残った場所でした。



また浪江町にいたっては、今年の7月まで入場が規制されていたことから、



復興が進まず、5年経った今も震災で被害を受けた建物などが多く見られました。



↑海岸線に作られた防潮堤 @南相馬



↑大量に残された汚染土が積まれたフレコンバック @南相馬



↑原発20キロ圏内から運び出せない、フレコンバックや瓦礫 @浪江町



↑津波で家が流され、基礎だけが残ったお宅  @浪江町



↑津波で被害を受けた小学校 その1 @浪江町
(生徒、教師は全員無事だったそう)


↑津波で被害を受けた小学校 その2 @浪江町



今回、被災地訪問で感じたことは、改めて被害の甚大さを痛感したことで、


津波の影響があったエリアはすべてを消し去り広大な草原のようになり、


5年たった今も復興に向け作業する方や帰りたくても帰れない住民の方がいることを知りました。



また放射線がより作業を困難にし、住民の方にも重くのしかかっている現状があることを知り、



復興を遅らせているのだと教わりました。中には震災直後のままという場所がありました。




今、自分にできることは、今回の訪問で見て聞いた福島の現状を



こうしてブログで紹介したり、海外に行った際に伝えることが役目だと思っています。



復興はまだまだ道半ばだと思います。



今回の経験を今後の活動にどう活かせるかはわかりませんが、



同じ日本に住む者として、知れたことは良かったし、いい経験になったと思う。